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才能の周辺事項



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絵がうまいとか、歌がうまいとか、泳ぐのが速いとか、事務処理が早いとか、褒めるのがうまいとか、謝るのがうまいとか、力持ちだとか、エッチだとか、姿かたちが美しいとか、そこに誰にでもはっきりとわかるほど普通との差があって、なおかつ、それでお金が稼げるというのが、才能だと思ってる。

お金にするつもりがあるかどうかっていうのが特技と才能の(わたしの中での)違いで、べつにお金をいくら稼いだかは、まああんまり関係ないんだけど、自己完結に向かわないところなどは、本当にうらやましくてうらやましくて、うらやましくて、うらやましい。

前も言ったけど、まわりを見渡すと、そんな才能にあふれた人たちばかりで、たまに気が滅入る。
自分の才能はなんだろう、みたいなどうしようもないようなことを今更思ってみたり。
そんなふうにどんよりすることもあるけれど、立ち直るのも早い。
望んだところに生まれるのが才能ってわけじゃないんだってことがわかりつつあるこの頃。
受け入れる覚悟を決めた人々の潔さが、かっこよすぎるこの頃。

しかしだよ。
前衛的なアートシーンをいつもいくつも泥臭くさばいていくわたしの憧れの人は、信じられないぐらい無味無臭の文章を書く。
ツイッターとか、メールマガジンとか、彼の書いたものをみるにつけ、この人が文章を選ばなくて良かった、と心から思うのであります。
彼が立っていると、遠くからでもすぐにわかるような、まわりと一切なじまない獣みたいな、ちょっとぞっとするような、でも気になって仕方ない、そんなオーラが淀みなくあたりにどわーっと充満していて、話す声や、息づかいも人間じゃないようで、それくらい飛び出してる人なんだけど、小学生の日記並みに「昨日は〜〜をしました。今日は〜〜やります。みなさん来てください」って、すごいなって、逆に思ったよね。
だけど、それでもなんかしらおかしいってことは分かる、や、でもこれは彼を知ってるからそう読み取れるだけなのだろうか?
知らなかったら、やっぱりあのバイタリティとかガツガツ感とかは伝わらないだろう。
あれ、なにが言いたいかわからんくなってきた。

おんなじ人間なんだよね、ってことなんです。思ったのは。
意外な一面をみんなたくさん持ち合わせていて、カードを出すみたいに、その都度、使って、またもらってってやってるんだなーって。
揃った時が使い時。揃わなくても、カードはある、ここで負けてもまた次違うのが来るじゃん、みたいなさ。
完全に、自分を励ましてる感じする!!!はずかし。そんなブログです。

パンケーキのレシピの改良を重ね好みのものが焼けるようになったとき、これは、このブログ初のレシピ公開となるのでは?そしてパンケーキのお店とか開いたりしたらどうしよう?なんて思ったりしたけど、あっさりそのレシピの問題点も出てくる始末。
今のところ、パンケーキの才能はあんまりないみたい。
# by azdrum | 2010-09-05 21:15 | ひとびと | Trackback | Comments(0)

アンヴィル!



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アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~[DVD]
公式サイト 予告もみられます!

やっとこ見つけてレンタルした!
あっさりしたつくりで、間がね、たぶん本気で狙ってるわけじゃないと思うんだけど、ぽかーんとしてて最高だ。おかしいったらないよ。

リップスの子どもじみたところが自分と重なって、本当に哀れで、愛おしくて、涙出た。
いつも無駄にいらいらしてるし焦ってる。
周りはみんなクールで楽しんでいて、それがうらやましいのに、できなくてくやしいから怒っちゃうんだよね。
そして、誰かを傷つけてしまうことに自分でもうんざりしてる。
リップスの素晴らしいところは、それでも自分を信じる力を持っていて、他人を心から大事に思っているところ。
なんていうか、チャーミングだから、みんなほっとけないんじゃないかな。
おっさんなのにずるいわあ。
謝って許されると思うなよ!自分の問題をひとに押し付けるな!と、わたしの中のちいさいロブは怒っています。
そして、わたしの中の大きなリップスはうなだれるのです。ごめんよロブ。許してくれよ。

夢の大きさは、比べられるものではないと思うし、成功=幸せ、でもない。
諦めるか続けるかとか、リスクの見極めとかじゃなくて、結局、自分の使命のために何をとるかってことだけなんだなあと思った。
こんなおっさんなのに、レコード作る間にちょっとずつ成長してるわけ。それが何より感動。

「どっかで腹くくらないかんときがある」と、今日再放送していた市川海老蔵の「プロフェッショナル」を見て夫が言ったが、リップスとロブは、なんかそれすら感じさせない、ほんとに、出会ったときの15歳の少年のままって感じ。
好きで好きで、っていうさ。

それから、これを撮った監督、サーシャ・ガバシも器がでかい。
まさか、2人を追いかけた映画がこんなふうになるなんて確信が持てていたわけじゃないと思うのに、20年前の親友がまだヘヴィ・メタルでロックをし続けてるってことに感動して、「じゃあ今撮るしかない」って、自費で撮影するなんて。
「人生のある時期には、思い切って何かに立ち向かうことが必要だ。これを僕は信じる。何があってもやりぬく、と。僕にとっては、アンヴィルがそれだったってわけなんだ。」
この人も腹をくくったんだね。

続けるのが偉いわけじゃないってことは、わかってるけど、それでも、続けるのってとにかくすごい。続けることってかっこいいって思った。
だから、多くの人が彼らを好きになる。
映画の最後に、スラッシュが言う。
「売れるバンドはたくさんいるけど、はっきり言って、30年やってるバンドをいくつ思いつく?
ローリングス・トーンズ、ザ・フー、それからアンヴィルだ」
2位と3位、空き過ぎじゃない??(実際、ちょっと間があった)
# by azdrum | 2010-08-29 16:56 | 映画 | Trackback | Comments(2)

のろまな夜



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昨日、ひさびさに、誰かに話したことがありました。
その話は少し微妙なニュアンスを含むせいで、言いかけるたびに自分でもきちんと思ったように言えるかわからなくなって、別に言わなくていいやって、そういえばずっと話していなかった。
それがすらっと口から出てきたとき、言えた解放感と言ってしまった後悔で、一瞬作り笑いになったことに自分でも混乱したけど、それはほんの一瞬だった。
心から笑って、誰かと(あなたと)話すことができたから、嬉しかった。

とおり過ぎようとしたのは、ちいさくて、昔の食堂みたいに戸が開け放たれて中と外があいまいな、懐かしいカフェで、軒下にはほおづきがぶらさがっていた。

きっと昔は、エアコンがなかったし、夏場はどこもこんなんだった。
本屋さんも、駄菓子屋さんも、酒屋さんも、お米屋さんも、みーんな、戸が開いていて、お店の奥まで外から見えた。

もちろん、そのカフェにはクーラーがなかった。
それってすごく素敵だと思う。
エアコンが完備されていないとまずい場所はたくさんあるけど、なくてもいいところだってある。

懐かしい感じがするからと言って、いわゆるレトロなのとも違って、押し付けがましくなくて、謙虚さすら漂ってたよ。
こざっぱりとした洗練さとトレンドの抜け感が奇妙に混じっていて、親密で、それでいて開放的。
でも、それゆえに、そんな優しさにドギマギしてしまう臆病者のわたしは、やっぱり入れない、通り過ぎちゃおうって思った。
ひとりで入って行くなんて!
すこーし、行き過ぎてから、でも戻ったよ。
言うことはひとつだけ!
「コーヒーを1杯いただけますか?」

暑いところでは、絶対にコーヒーは熱いほうが好み。
むわっとしているのは、わたしという人間の熱なんだなあと思うぐらい、むしろ取り巻く空気は静謐さに満ちていて、もし、目に入った感覚だけを温度で表すなら、ずっと低くなるだろう。

オーナーさんに、お店のことや、今夜ここで(!)行われるライブイベントのことを教えてもらっていると、今夜のミュージシャンがギターを持ってお店に現れた。

昔、ちいさな映画館兼イベントスペースでバイトをしていたとき、毎週なにかしらライブやら、舞台やらがあって、客入れまでの準備の時間が一番好きだった。
よく知らなくても、ミュージシャンや、アーティストを見ているのも楽しかった。
さあ、扉をひらこうか!ってときの瞬間も、たまらなかった。

デジャヴュの中、背後で「こんにちはー!@@@@@@さんにお花のお届けでーす!」という声がして、振り向くと、おおきな花束があって、オーナーさんも、「花が届いたよー」って、@@@@@@さんを呼んで、「さすが地元、凱旋ライブみたいだね」って喜びのシーン。

知らない誰かにお花が届く瞬間を見てしまった。
予期せぬ幸せをこんなふうに形にしてもらうって、なんて素敵なことだろう!だってみんなが笑顔になって、みんながびっくりして、みんなが嬉しくてしかたないんだよ!

この夏3本目のフィルムをここで撮り終えて、なんだか泣きそうになった。
# by azdrum | 2010-08-28 13:25 | 暮らし | Trackback | Comments(0)

still traveling



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三都物語の余韻が強くて、どこか出かけたい出かけたい!の毎日なんです。
それで、お金もかからず、一人でも行けて、非日常を満喫できる、海へ行ってきました。
もちろん、夏らしくちゃらちゃらしたワンピースの下には水着をきて、まくらがわりのクッションと、大きなタオルケット、バスタオル、サングラス、本、iPodをかごバッグに詰め込んで、車でひとっぱしり、つっても30分近くかかるから意外と遠いね、ビーチまで。

海水浴場についたのはいいんですけどー。人少な!日曜日だよ日曜日!どうした!
わたしはワイワイキャーキャーいう若者の間でどさくさにまぎれよう、そして灼こう、と思っていたのに、これじゃあ浮きまくり、まるでナンパ目当ての寂しい女のよう・・・。
まあ、でもね、パラソルも空いてたし、来たからにはもくろみを果たすべく、タオルケットを広げて寝そべるしかない。
見渡すと案外ひとりの女の子がいたりして、真後ろでは、外人のかわいい女の子がウォッカのボトルをかたわらに置いて灼いてたけど、途中ビールも飲んでて、それまでかわいかったのに、ビール一口飲んだあと、おっさんみたいな声だしてたからびっくりしたよ。

10年以上も読まずにほったらかしにしていた、伝説のピンナップガールについてのドキュメンタリーを開く。
ギラギラ太陽の下で読み始めるにはなかなか良い選択だった。アメリカンなところも、ドロドロしたり切ないところも。

あんまり長い間直射日光に当たらないように、仰向けになったり、うつぶせになったりして、日陰でもやったり、海に入って歩いたり、アイスクリームを買いに行ったり(しかし信じられないことに海の家もなかった!)、ペディキュアを塗ったりして、3時間ほど過ごした。
砂は火傷するぐらい熱いけど、やっぱり海にはさわやかな風が吹く。いいなあ。しみじみ。

くらげに刺された時の注意とか、処置の方法を監視のおじさんから必死で聞くおかあさん。
ダブルデート中の学生。
荷物番をしながら砂をいじる若者。
下品なおやじグループ。
それでも、いろんな人が集うビーチには、もう夏の終わりが濃く映っていて、みんなでその消えて行く泡みたいなのを大事に共有しているような気分になった。
来週はもう夏休みの最後だね。言葉にすると余計切ない!

さて、こんな寂しい気分で日曜日が終わるのはやっぱりだめだと思い、今度は小さな山のてっぺんにある植物園に行くことにした。
夜の植物園というイベントの最終日は、文字通り夜の植物園の散策ができるほかにも、カフェの出店やキセルのライブなどがあって、せっかくだからそのライブのチケットも買ってみた。
セッティングの間に、ふつう何かしら音楽がかかるけど、そういうのも全然なくて、子どものはしゃぐ声や虫の音がざわめきに混じって、いい気分で、それにライブも思った以上に良かった。
「高知県は8割が山なんですよね?」「え?日本の?8割?!っていう会話がつぼでした。

出店しているカフェは、いわゆるエコ的なお店ばかりで、フェアトレードの豆を焙煎して入れてくれる「はなればなれ珈琲」のコーヒーをようやく飲めたのが嬉しかった。おいしい!!
エコとかいってさ、コーヒーをつめてもらったのはスターバックスのタンブラーだし、わたし車で来てるし、なんだか悪いなあと思いながら、温室へ向かう暗い道を歩いていると、いろんな人がもっている懐中電灯が、野外活動(林間学校?)のときみたいなかんじでそわそわするー。

夜の温室、最高だった!!東南アジアのどこかの国で、夜道をひとりで歩いてるみたいな感じ!
旅してる!って、新しい風景だし、もわっとしてるし、静かだし。
小さな滝や池、目の前を横切る葉っぱや水辺に張ったクモの巣をもっとずっと見ていたかった。
下からぐっと見上げると、温室はちょっと宇宙ステーションみたいでもディズニーランドみたいでもあった。
夜にしか咲かない蓮の花は、真っ赤でエキゾチックで、怖いけど美しかった。
# by azdrum | 2010-08-23 23:03 | 暮らし | Trackback | Comments(6)

記憶のかわりに



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うろこの家って、楳図かずおって感じだよね」とむっちゃんが言って、そうだよね、ひらがな3文字が気持ち悪いよねって言っていたら、みーちゃんが「おろち!」って言った。
「あ。それだよ!!」って、腑に落ちてみんな笑い転げ、もっすごい日差しの中、男坂をがつがつのぼってうろこの家に。
むっちゃんはうろこがまとわりついたばかでかい家を見上げながら「・・・。なんでうろこくっつけようって思ったんだろうね」と。
中は、カビくさくて、古くて、どんよりととりとめがなかった。お腹がいたくなるような感じ。

ちなみに、楳図かずおのくだりを後からバイト先で言おうとしたら、「うろこの館(やかた)ってところがあってね・・」って、すでに不気味さを多めに刷り込んで話してしまい、オチが鈍ったっていう。ばかばか!
しかし、「うろこの家」っていうのは、すでに完全に楳図ワールドの字面だよね。

みーちゃんのブログ:ウーララーでは美しい写真と、時系列になった旅の行程がみられるから、わたしもそれをやってみようと思ったのだが、あの、その、だめでした、思い出せないの、順番に。
やっぱり障害があるのかなあ、脳みそに。日記をつけられない。つけていられない。
でもね、思い出的にはね、どこいったって、生きてる限りまとめてどーんとこいですから、ダイジョブヨ、モンダイナイヨー。

ていうか、写真がないからさ、だって頼みの綱の携帯電話のメモリカードを家においてきてて、意外とそういう時家電屋さんって見当たらないもんなんだよ。
サブカメラというにはあんまりにも適当な、完全におもちゃとして連れて行ったLOMOでしのぐことになり、むしろ雑貨屋さんを多く廻ったこの女子旅行では、おかげさまで?トイカメラにうってつけのフィルムのほうによく出会ったものです。

久々に、フィルムカメラを使ってみた。
残りの枚数が気になる、何が撮れたかわからない、しかもトイカメラ、度が過ぎる、なんかもういいとこない気がして、それがかわいいんだよみたいなこと言えるほどアナログ好きでもないし、良さも実はよく分かってないんだろう。
だけど、フィルム装填とか巻き上げとか、そういう撮るための行為っていうのは、やっぱりわくわくする。フィルムのにおいも。

で、出来てみると、大半写ってない、写ってないっていうのは、あんまり写ってないとか、写りが良くないとかじゃなくて、何にも写っていないってこと。
それもランダムにそういうコマ(なんていうんだっけ?)が現れているのが不思議。
こんな予感がしたので、プリントはせずにCDでもらうことにしたんだけど、これがね、まさかの順不同。
ただでさえ、頼るべきデータのない1本のフィルムから、撮った順番を奪うとどうなるか!
あやふやな記憶が、さらに見た目の羅列に惑わされ、わたしの旅はただ、目で見たものの記録となったのです。

だけど、わたしは、記録としての写真が好きだ。
美しさも新しさも全然いらない、余計なものは何にもなくて、全てのものが、そうやってそこにあったんだって、その瞬間の証拠が欲しいから、シャッターはできれば一度きりしか切らないで、撮る場所や角度もあまり探さないでいたい。

そんなわけだから、わたしの普段のカメラは携帯電話についてるやつだけで、本当に事足りているの。
去年の5月、ちょうどカメラを買おうとしていたときに、「桜を撮りたくてカメラを買うつもりだったけど、桜が終わったから今買う理由がなくなった」という古い友人の言葉をきいて、思いとどまったきり。
そうなんだよね、何がどんなふうに撮りたいかってことなんだよね、って考えると、やっぱりわたしにも新しいカメラを買うだけの理由が見当たらない。

とはいえ、旅行とかふだんの暮らしのモチベーションをあげるためのアクセサリーとして機能することも、現代におけるカメラの役目でもあるわけで。
そういうのって素晴らしいよね。撮れた写真がどうかってことより、好きなものを持ち歩くことや、触ったり眺めたりして「カメラを持ってる」って実感することが、何か撮りたい!って気持ちにさせてくれるから。
だから、持っててうれしい、お気に入りのカメラが欲しいなーと思うのです。最近は。
機能よりもフィーリングで。ぴったりくるやつに出会いたい。
だけど、旅も終わったしね、どうしよう。また次の旅に出ようか。

写真は、みーちゃんと心斎橋のカフェでこれからどこに行くか話し合ったとき。
店員さんがみんなフレンドリーで、地図を広げたわたしたちに、いい場所を教えるために悩んでくれたの。
駅員さんも、道行く人もみんな親切で、嬉しくなった旅でした。
ちなみに、冒頭のうろこの家に行った時の写真は一切写っていませんでした。おかしいね。
# by azdrum | 2010-08-21 20:32 | 暮らし | Trackback | Comments(2)


暮らし、ひとびと、食べ物、映画、この優先順位で日々を送り、その日記を書く。カテゴリは増やしません!太鼓の音には耳をすませ!                                 


by azdrum