ロング・リリーフ
3月の終わりから4月半ばにかけて、ここでは田植えが始まる。そうすると濃密な春がじんわりと寄せてくる津波みたく頭上まで満ちてきて、わたしはちょっと息が苦しい。
その波がひくと今度は清々しい田園風景が現れる。
田んぼに引かれた水に空が映り、放つバイブレーションは生命力で、無限。
この写真を撮ったのは、5月11日だった。雨上がり、ちょっとまだ降ってるくらいだったんだ。
この稲が人間で言うところの9歳ぐらいだったら、今は31歳ぐらいになってる気がする。
(専門学校に通っていた頃、実習で使っていた相当年季の入ったスティンベックを眺めながら、講師のJ.Kが「これが犬だったら一体いくつなんだよ?」って言ったのがおかしかったけど、わたしは内心、こういうとき犬の年齢に例えるやつっているんだよねーって、意味あんのかよって、思ってたよでも、稲は年齢に置き換えた方がピークがわかっていいよね?ちがわない?)
毎日ここを通るたびに、季節が今日変わっちゃってたらどうしようってびくびくしてる。
梅雨が好き。梅雨が好き!
おたまじゃくしが泳いでいるのがとってもかわいい!
透明な水の表面を、ふらふらと行き交う彼らの無邪気さ(まさに邪気がない)に目を奪われ、しばらくじっと眺めていた。
そう夜、かえるがうるさい!!今ももちろん。
雨が降ったりすると速攻鳴くしね。
そしてふと、あれほどのかえる(もちろんおたまじゃくしも)はこの後どうするのか?と思った。
かえるの卵って大量にあるし、全員卵を産んだら、そこでは暮らせないもんね。
そもそもかえるは何歳まで生きられるの?
「かえるってどこに行くわけ?」と聞くと、夫は嬉しそうに「いろんなところ」といって、部屋の中から山の方を指差した。
いろんなところ。
いろんなところね・・・。
うん、あの、それはそうなんだろうけどさ。・・・まあいいや。
水のある場所を求めてさまよう最中に、道ばたで轢かれたり疲れ果てたりで命が尽きるとしても、あの卵の量からすると、見かける死体なんてほんのわずかだし、それなら多くのかえるたちは、安住の地にたどりつき、寿命を全うするのだろうか?(今調べてみたところ、ヒキガエルの寿命は約20年!長いよね?)家族とか、そういう行動の単位みたいのはあるのかなあ?
生まれたたまご、育てるんだっけ?まさかね。自分の子どもがどれかわからないだろうな。
なんてことしか考えられない、もはやわたしの脳みそはつるつるなんじゃない。
こないだ大勢で「結婚」について話していたときに、あまりに内容が飲み込めないわたしを不憫に思ったのであろうその中のひとりが「じゃあ純物質と混合物という例え方ならわかる?最初に習ったでしょ?」と言った。
だいたいさ、話題は「結婚」なんだよ?!
それを純物質と混合物って!
わたしに物事を噛み砕いて教えようとするとき、そういう例えを使うのは完全に間違ってると思う!
化学の話を持ち出すなんて。
ひどい。
#
by azdrum
| 2010-06-10 02:29
| 暮らし
|
Trackback
|
Comments(6)
たけのこの里派
精神が衰退したと街頭のフランス人は言ったが、果たして本当にそうだろうか。
なんというか、残像がきっと高尚過ぎるんだよね。
現代、汚れなきものに精神は必要ないのであって、どうしようもない俗物であるわたしたちにこそ、精神はなくてはならない。
山奥で、ヤギと一緒に暮らしてはいけないもん。
なんたって自分で決めた食べ物のルールさえまともに守れないんだから!
毎日あっという間に過ぎるわけだよ。
なにから説明すればいいのかしら?
全然、表現できなくて困ってしまう。それが今。
ブログ、久々だけど、とにかく書いてみた!
なんというか、残像がきっと高尚過ぎるんだよね。
現代、汚れなきものに精神は必要ないのであって、どうしようもない俗物であるわたしたちにこそ、精神はなくてはならない。
山奥で、ヤギと一緒に暮らしてはいけないもん。
なんたって自分で決めた食べ物のルールさえまともに守れないんだから!
毎日あっという間に過ぎるわけだよ。
なにから説明すればいいのかしら?
全然、表現できなくて困ってしまう。それが今。
ブログ、久々だけど、とにかく書いてみた!
#
by azdrum
| 2010-04-21 21:04
| 暮らし
|
Trackback
|
Comments(4)
can i open it?
いちばん厄介だと思うのはジェラシーで、でも、なんだかんだで、それがあるから生きてけるって気もする。
世の中には、なんてきれいな人が多いんだろう?!
髪、伸ばそう、って何百回目か忘れたけど、またあらためて思ったよ。
しょぼいお菓子もなんとなく食べてしまう環境なので、それもやめよう。
まずいお菓子はね、あたくしのね、ポリシーに反しますの!(えらそー。ポリシーって!)
美しすぎる人を知っている。
全部が「完璧の一歩手前」という完璧ぶりで、風がふわーって吹いてくるような凛々しさと、猫みたいな怖さがあって、飛び込んできたらきっとみんな離れられなくなると思う。
その人は、ジャンクなものをたくさん食べて、大きな部屋に住んで、いろんな大人からお小遣いをもらいながら、でも全然いやらしいことはしないで(たぶん)、毎日夢を見て生きている。
わたしはその人に正直憧れてる。でもあんまり嫉妬しちゃうから、遠くから見ていることしか出来ない。近くにいると、どす黒い感情であほになりそうなんだもん。勇気ない。
ぜんぜん美しくない人を知っている。
会うといつも目元の化粧が濃くて、合成繊維の服で、謙虚で、でも知ったかぶりで、笑顔が気持ち悪いほどかわいいくて、秘伝レシピを教えてくれるけど(「うちでは昔からね・・」って始まるの)、多分そんなのわたしは作らないと思う。
わたしはその人が、嫌いなのか好きなのか、よくわからない。
でも、すんごいうらやましいと思ってる!常に負けてる。女として完全に!
好きなカクテルとか(もちろんフルーツの)、昔の彼の話とか、最近よく行くお店とか、ぜんっぜん面白くないけど、つい聞いちゃうもんね。
これがわたしだったら、絶対誰もきいてくんねーなって思うもんね。
そう、「かわいげというものがない」ってこないだわたしは言われたばっかりだよ。
結局、その人はとってもかわいいんだなって思う。
夢に出てきたんだよね。この美しくない方の人が。昨日。
夢の中で、わたしは思ってもないことをばっかりをペラペラと並べ立てては彼女に媚びまくり、それなのに超すげなくあしらわれて、最後はひどい言葉を浴びせられて目が覚めた。
媚びている最中、一瞬だけ本気で彼女の幸せを祈っていて、夢を見ながら、自分の中にそんな感情があったことにびっくりした。
夢を見ているのはわたしだから、最後の言葉はもちろん現実の彼女じゃなくて、現実のわたしが自分自身に言ったことだけど、彼女のセリフになったことで本当に惨めで、最低な気分だった。
こんなに自覚してるんだから、反省しよう。反省しよう!ちょっとできた。
そうだ、書き忘れてた。
違うの違うの、ジェラシーは、別に見た目の美しさに感じるわけじゃないの。
文字とか、絵とか、写真とか、にじんでるもの全部に思うんだけど・・よく考えてたら、みんなに嫉妬してる気がする!
みんなすごいんだもん!なんでわたしはわたしなんだろう?
どうしたらそうなれるんだろう?みんなすごい。
#
by azdrum
| 2009-12-28 21:46
| 暮らし
|
Trackback
|
Comments(8)
手も足もださず
主食はドーナッツ。
デザートにビール。
靴下はいつも互い違い。
アイロン台には新しい雑誌。
花瓶の花、つぼみはいつのまに全部開いたんだろう?
ってな具合なら、もうちょびっとわくわくがいる。
もういいや。適応できなくても。
そんなんだったらわたしはあれを撮りたい。
大きな音でキラキラの、浮き世の地面を見て続きを考えた。
come back!!
相容れないものもそりゃあるんだけど。
だって、だって!
勝ち負けだって大事なことだと思うの。
それは善し悪しじゃない。
現実であり結果だ。とてもシンプル。
受け入れることと、次のチャンスをものにすること。
みんなで分かち合うってことも必要だけど、自分でつかめる自由には、やっぱり感謝してる。
ああ、美味しいテーブルを早くまた囲みたい。
すぐにでも。
そこで文句も言いたい、悪態をつきたい、汚い言葉で罵りたい。
でも仲直りをしたい。(勝手!)
そんで全部忘れたい。
#
by azdrum
| 2009-12-12 00:36
| 暮らし
|
Trackback
|
Comments(0)
遠くから切り取りたいが
どうしてか、近視的。わたしは近眼だ。どうしたって近視的。
長いセンテンスが結べない時ってあるよね?
肺の空気が足りないのか?
ちょっと前、足湯に浸かりながら、インドの男性が話す呼吸法の話を聞くともなく聞いていた。
人間の刻む鼓動の数は決まっているから、それがなるべく少なくてすむように(長生きできるように)呼吸をコントロールしましょう、って話だった。
家に帰ると、ジョガーの夫は「でも走る」と言って、出て行った。
長生きする方法なんて、よくわからない。
でも、走りたくて走る人の潔さが確かでないとしたら、一体何がまっとうなんだろう?
生々しい生の執着も、筋肉を使う欲求も、同じくらいつまんないし、同じくらい美しいって思った。
なんにしろ、わたしの肺には空気が少ない。
電話の途中で息継ぎを間違えて、悲鳴みたいに気管が鳴った。
鼓動が今どのぐらいか知ったところで。
息をコントロールするでもなく、走り抜くわけでもなく、今は長風呂インターバル!
今日は誓って、食べ過ぎないようにするんだもんね!(関係ない)
長いセンテンスが結べない時ってあるよね?
肺の空気が足りないのか?
ちょっと前、足湯に浸かりながら、インドの男性が話す呼吸法の話を聞くともなく聞いていた。
人間の刻む鼓動の数は決まっているから、それがなるべく少なくてすむように(長生きできるように)呼吸をコントロールしましょう、って話だった。
家に帰ると、ジョガーの夫は「でも走る」と言って、出て行った。
長生きする方法なんて、よくわからない。
でも、走りたくて走る人の潔さが確かでないとしたら、一体何がまっとうなんだろう?
生々しい生の執着も、筋肉を使う欲求も、同じくらいつまんないし、同じくらい美しいって思った。
なんにしろ、わたしの肺には空気が少ない。
電話の途中で息継ぎを間違えて、悲鳴みたいに気管が鳴った。
鼓動が今どのぐらいか知ったところで。
息をコントロールするでもなく、走り抜くわけでもなく、今は長風呂インターバル!
今日は誓って、食べ過ぎないようにするんだもんね!(関係ない)
#
by azdrum
| 2009-11-10 20:04
| 暮らし
|
Trackback
|
Comments(6)